人生

やっていきましょう

冷笑という態度(手段)があまりに手軽に用いられ広く浸透しているこの時代に、冷笑はつまらない、これからは愛だの真摯だのと言っている人間が何人かいる。これは慈善家の言葉ではなく冷笑家から出た言葉である。こうした逆張りは見ていて面白いが、それを口にする勇気はおそらく自分にはない。

冷笑というのは相手が崖に向かって歩いているのに、なぜか本人が気づかないというところにゲラゲラ笑えるかということである。言葉の誤用を物知り顔で使っている人間に笑顔がこみあげてくるなら、冷笑というものが分かっている。

冷笑は基本的に毒である。冷笑を好まない人間もいる。冗談だと分からず本気にする人もいる。自分は毒を楽しむという点で冷笑を評価しているが、多くの場合それは相手を蹴落とし自分を優位に立たせるために用いられる。そうした毒をユーモアで中和することで冷笑は面白くなる。ただ多くの場合、単に毒をぶつけたいだけで面白さという視点が欠落している。

こうした殺伐とした冷笑がSNSのどこへ行っても散見されるので、そろそろ冷笑にも飽きてきたということになる。そこで冷笑を冷笑する一定数の人間が冷笑の外側に向かって走り出しているという状況がある。