人生

やっていきましょう

238日目

習慣3日目。すべてのノルマをこなした。

昼食が遅れた。昼に近い朝食となった。その分昼食も遅らせた。夜は問題なく食べられた。

運動は問題なかった。いつも通りのメニューを2周まわした。その後外を走ってそのまま風呂に入った。

運動する前に極度の不安状態に陥っていた。ずっと頭の中で苦しさを訴えていた。自分は死んでしまうのではないかと思っていた。だがひとたび運動をすればその震えは止まった。筋トレに加えて寒空を走ったことで完全に不安が消失した。いつものように「きつかった」「かーっ、この水のうまさ」というどうでもいい関心に支配された。

幾分滑稽味がある。ことの深刻さは瞬く間に喪失した。このギャップが面白い。今思えばあの不安はなんだったのだろう。運動した程度で吹けば飛ぶような不安だったのか。今となってはよく思い出せない(だがおそらく明日もまた不安は襲ってくるだろう)。

不安をごまかすのがうまくなった。あらゆる不安要素を忘却して、とにかくよしと自分の心をなだめるのがうまくなった。現実は何も変わっていない。解釈が変わっただけだ。その解釈もことさら自分にとって都合の良いものだ。だがとにかく、そこに埋没することに成功している。

ふと自分の思考の変化に気付く。今までは不安は直視しなければならないものであり、すべて背負う覚悟で生きなければならないと思っていた。これは人間の生き方ではない。自分はそれをヨナ記の鯨、あるいは空想上の巨人のように思っていた(進撃の巨人という漫画は観たことはないが、恐怖を演出する上で巨人を題材にしたのは良い着眼点であるように思う。同様に恐怖から目を背けようとして張った巨大な防御壁も印象的だ。何かモチーフがあるのだろうか)。

しかし背負う必要はないのだと、すんなり受け入れられるようになっていた。巨大な不安に立ち向かわず目を背けるのは逃げであるという考えがあったが、逃げて良いと判断したときは逃げて良いという風に考えが変わった。自分の価値観がリセットされ、逃げないことも逃げることも価値の上では等価であると思うようになったからだ。そこには逃げる選択、逃げない選択の先にある影響と結果だけがある。

トラックが猛スピードで突っ込んでくる。それを逃げないで立ち向かうという宗教的情熱が自分にあったとする。自分は逃げる選択も逃げない選択もできる。だが自分が逃げなかったことにより神から、社会から、他人から名誉を与えられるだろうか。分からない。ただ唯一言えるのは、逃げれば一命はとりとめるが逃げなければ重傷を負う、あるいは即死するということだ。

こんな単純な話は自動車教習所でも習わない。だが自分にとっては重要な話だ。「本当に」自分は逃げていいのだろうか、と考えるのはなるほど思考実験としては有用だ。とはいえ実際の問題となると、反射的に逃げることが生命維持のための最もな最適解であるように思われる状況が度々ある。その時にもしかしたら逃げない方がいいかもしれないと思うのは現実的ではない。逃げるときは逃げる。迷わず行動するということが選択肢のひとつとしてあっていい。

これは先ほどの疑問の答えになってない。本当に逃げていいのだろうか。逃げずに無理した方がいいのではないか。ひょっとしたら逃げない方がいいかもしれない。

この答えは後になってみないと分からない。だがひとつだけ言える。自分は自分が望んだ選択肢の反対方向に価値を置く傾向がある。またこうしたバイアスを妄信して流される傾向がある。だから自分の望んでいる方向の反対が気になったときには、ふと立ち止まって考えてみる。自分は正確な判断を下しているといえるか?現時点では自分にとってどちらがより重要か?そうしたときに、逃げないという選択肢が有力になる状況もあるだろう。だが一方で逃げる選択肢が有力になる状況もある。

より現実的な思考を努めるべきだ。そのうえで物事を選択する際に無難な選択をとるのか、自らの価値を優先させるのかは自由に選んでよい。重要なのは現実的な視点から決して目を背けないことだ。これは問題から決して逃げるなということではない。自分の理想、思い込み、バイアスにすべて支配されるなということだ。自分はこう思いたがっている、あるいはこう望んでいる。だが現実はこうだ、という視点が必要だ。それがどんなに自分にとって不利であれ、その現実をごまかさず直視し続ける。少なくともそういう心意気だけは持ち続けたい。そうすることで現実の問題が、まったくの絶望的な境地であるという粗い解像度から、現実的な処方によって部分的に解決できるものであるという認識にもっていける。

これらを踏まえて今回の問題にあたる。自分の不安は運動によって解消されるものである。それは自分にとって深刻な問題である不安を直視せず、自分をごまかして問題を先延ばししているように見える。だが現時点で、自分が最も優先しなければならないのは自分の健康と精神の安定である。なぜなら今までの人生の失敗の原因はまさにその欠落にあったからだ。したがって自分は不安を直視し続けるという選択から、運動によって得られる多少の安定を選択する。

そういうわけで明日からも引き続き朝食と運動、そして風呂を続けていく。

 

ところで夕方ごろに新たな曲を作曲した。ふと頭の中に流れてきたメロディを切り貼りして完成させた。よく精査せず思いつきでつくって完成させたのでいくつか不満な点があるが、個人的にはまあまあ曲になっていると思う。

工夫したのは16秒以降の副旋律だ。6つの音符を1セットとして音調を変えながら4パターン繋げた。そのあと主旋律が後を追うように入ってくる。

不満な点はやはり作曲の粗さだ。本来もう少し長い曲を作ろうと考えていたが面倒なのでやめてしまった。旋律も2つしかなく、奥行きがあまりない。その結果、中途半端な音楽になり浮ついた印象を与えてしまっている。

雑に作曲をするくらいなら日を置いて取り組んだほうがいいだろう。1日で完成させなければならないという制約はない。そもそもこんなもの自体誰が聴いているか分かったものではないので、焦る必要もないだろう。気ままに作っていればいい。