人生

やっていきましょう

369日目

早く起きて早く寝る習慣がついてから集中力がついてきた。あまり実感が湧かないが、惰性を中断し、作業に意識を切り替えるということができている。目標が定まっていればもう少し集中できるはずだ。集中して取り組める目標を探す必要がある。

自分は定められた手順に従って何かを操作することと、批判的に吟味して手順を再検討することを混合しがちだ。手順通りの操作を行っているときに手順に対して懐疑的になると意識にムラが生じ、手順を再検討しなければならないときに今までの手順に意識を奪われていたのでは発想の創出が不安定になる。いずれにせよ、これらを混合すると集中できなくなり、中途半端な結果しか残せなくなる。

集中力を維持するためには、今自分が何をすべきかという方向を複雑化しないことが重要だ。できるのであれば当然すべきだが、今の自分は複雑な方向に向かってブレずに前進できるほどの力量には達していない。目標を単純化することで自分が今なにをすべきかという優先順位をつける。そして優先順位の低い要素は一旦視界から消す。

単純な目標というのは、先日述べたようにスタートからゴールまでの一本道をひたすら歩くというようなものだ。とにかくゴールに着くことが最優先であって、その意味では別のアプローチを検討したりタイムを短縮したりすることは余剰でしかない。余剰に手をつけて良いのは余裕があるときだけだ。とりあえずは単純な目標を底に据える。

これは様々な選択についても言える。最も複雑な課題のひとつに、自分が本当は何をしたいのかということを見つけるということがある。あらゆる対象を検討して、自分の内側で常に変化し続ける自分の願望の定義と照らし合わせ、暫定的な答えを出し続ける。これは本当に難しいことだ。

だが範囲を限定すれば単純化する。自分が今まで生きて触れてきたすべての対象をもって自分が何を望みどうなりたいのかを検討するよりも、自分の住まいの中にあるもので自分がどうしたがっているのかを考える方が簡単だ。家の外にあるものに対する願望はそもそも存在しないと考えれば、選択肢が減り、何を選べばいいかがはっきりする。活動範囲を家の中に限定したとき、運動したい、風呂に入りたい、創作したい、本を読みたいといった微弱な欲求が見えてくる。

情報を限定するということが危険であるということはネットを使っていれば分かることだ。それはエコーチェンバーに晒されやすくなる要因になり、自らのバイアスを強化する方向にはたらく。だがそれも使いようだ。あまりに多すぎる情報に晒されて、思考や価値判断を停止してしまい自らを喪失してしまうのであれば、自分の方針を定められるよう範囲を限定することもまた重要である。

 とはいえ自室や家に限定されていては可能性もまた限定されているというのも事実だ。自分はずっとその選択肢の中で生きていたくはない。いずれ外に選択肢を広げていくべきだ。だがそのためには自分の壊れた人格を形成し直し、安定した精神状態を常に維持できるようにする必要がある。自分が安定するには、自分という人間の連続性を綿密にする必要がある。それには範囲を限定し、微弱な欲求に対して適度に反応していくことが重要だ。心苦しいが、いまは自分の手に負える範囲の選択で我慢する他にない。