人生

やっていきましょう

405日目

運動で体力を持っていかれたが、風呂に入り休息を取ったことで読書をする余力が生まれた。あと1.2時間は費やすことができる。

ダークソウル3がほとんど終盤を迎えている。それまで白霊サインや闇霊侵入でゲームに浸っていたが、無目的のプレーになりがちで時間を浪費していることに耐えられなくなってきたので、そろそろ終わらせることにした。

ダークソウル3の隠しステージは3つあるが、どうしても3つ目が見つからずステージを最初から遡ってやり直していた。壁を叩いたりギミックを注視したが一向に見つからなかったので、やむなく調べることにした。ただそのまま調べるの癪だったのでGoogle検索の頭に出る動画のサムネから類推した。空の色を見て、どこにいくべきか、なにをするべきかをすべてを悟ってしまった。おそらく初見では絶対に分からなかったと思う。

今日はその新ステージを楽しんで終わった。残すはラスボスだけだと思う。

ところで昼はずっと歩いていた。いつもの巨大な公園に行って4つのコースを周回した。4つのコースは合計7kmほどのはずだが、実際自分は13km歩いていた。久々に歩いたので息が苦しく意識が混濁したが、歩いているうちに意識がはっきりしてきた。

日頃の自分と比べると、歩いていないときの自分は本当に正気を失っていると感じる。すべてが曖昧としていて、意識が混濁している。歩いているとき、何から何まで適切な認識ができているような気がしている。意識が濁流のように押し寄せるのではなく、思考が適量に収まっていると感じていた。

日頃頭が情報で埋め尽くされているのとは対照的に、歩いているときは頭の中をかき乱す情報量が少なくなる。ほとんどのウェイトを占めている不安に関する情報が喪失し、現実的な痛みと最低限の情報だけが入ってくる。この状態がもし日常的に維持されていたならば、他人との適切なコミュニケーションは容易だろうし、指示をそのまま理解し、適切な行動を冷静に行うことができるはずだ。

もしかすると多くの人間は、常にこうした精神状態にあるのではないか、と思ってしまった。恒常的な不安はなく、澱みなく情報が侵犯する感覚もない、最低限の情報だけを受け取り、そのまま受け渡しができる・・・。

正気でいられる時の状態を記憶しておく。今までもそうだったが、不安になってどうしようもない時には外に飛び出して歩き回る。歩いていても効果が無い時もあるが、大抵は歩いて治ることなので積極的に歩くことにする。