人生

やっていきましょう

先日母方の祖母が亡くなった。それで今日通夜に参加することになった。

祖母の訃報を聞いたときは動揺した。つい最近まで元気でいて意識もはっきりしていたからだ。電話で話もしていた。原因は誤嚥性肺炎と聞いたが、新聞には老衰と書かれていた。その日はずっと作業に身が入らなかった。

ちょうど去年の今頃、従兄が若くして亡くなった。あれから1年経っていた。葬儀の間は不思議と悲しい気分にならなかった。比べるのも変な話だが、従兄の葬儀では終始、道半ばにして斃れたことの無念についてずっと考えていた。だが祖母は今年で94であり、十二分に生きた上での大往生だった。だから自分は完走したランナーを讃える気持ちで遺影を眺めていた。

自分の死の間際にリザルト画面を表示して欲しい、というようなツイートを見たことがある。自分に言わせれば、葬儀という場がひとつのリザルト画面のようなものだと思う。これは決して弔いを軽視しているわけではない。その人がどのように生き、何を残したかがこの場で分かるということだ。

セレモニーホールは故人の思い出の品を展示する。従兄の時もそうだった。自分はこの品々を眺めることが好きだ。遺物から過去に思いを馳せるのが自分の趣味に合う。そこには生前の印象とは違ったものが置かれていることがしばしばあり、新たな側面を発見をしたような気分になる。

今回発見した祖母の新たな一面は、短歌を詠んでいたことだ。自分が生まれるずっと前に短歌をいくつか残していて、村の情報誌に載ったこともある。話を聞くと本格的な歌人としての道も開かれていたが、家庭を大事にする道を選んだという。

短歌はどれも優れた出来だった。お世辞で言っているわけではなく、どれを読んでも祖母と過ごした田舎の情景がありありと浮かんできた。その中で一句特に印象深かったものがあった。詳しくは覚えていないが、慣れない土地を踏みしめながら今日も藁を集める、といった内容だった。祖母は東京生まれで戦争を機にこちらに疎開してきた、という話を以前聞いていた。そして小さい頃、祖母と一緒に畑で藁を集めていたのを覚えている。異邦の人として感じる戸惑いに自分も身に覚えがある。だからなぜか、その歌が身近に感じ自分の心に響いてきた。

他にも昔絵を描いていて学校に飾られたこともあるという話を聞いた。書道にも理解があり達筆であったという話も聞いた。相当な文化人であったことが伺える。短歌にしろ絵画にしろ、これまでそんな話は聞いたこともなかったので新たな発見だった。葬式の最中は興味深いという感情以外になかった。だから自分の中で悲しみの感情は薄れていた。生前こうした話をもっと聞いておけばよかったと後悔した。

祖母の人物像を思い返すと、悪いところが見当たらなかった。人の話に耳を傾け、その人に合った言葉を言う。ただ頷いているばかりではなく、自分が勝手なことをしていればそれを指摘する。人の道を説く。励ます。そんな良い記憶しかない。逆張りで悪い記憶を探ろうとしたが、むしろ自分が働いたイタズラで祖母を困らせた記憶しか思い浮かばず自責する結果となった。

良くも悪くも我を出さない人間だった。だから自分の記憶には明確な印象があまり残っていない。しかしそれこそ祖母の美徳であったように思う。葬儀の最後に導師が言っていた言葉がある。悪事千里を走ると言われるように悪は容易に広がりやすいが、徳は目立たず知られることもなく、十年の継続をもって初めて現れてくる。徳とはまさに祖母のためにあるような言葉だろう。