人生

やっていきましょう

こういう話をしていいのか分からないが、人の死をネタにするようなセリフを作るのに抵抗が生まれている。昨年従兄弟が亡くなってからもそうだが、無邪気に「はよしね」だとか「あの世へ送る」だとかいう言葉を吐けなくなってしまった。必ず亡くなった人のことがちらついてきて罪悪感で苦しくなる。それでもセリフはそのまま採用するのだが。

自分が世間を知らないガキだからストレートに言えていたことが沢山ある。暴言を軽々しく言えるのは、暴言で自分が辛い思いをしたことがないからだ。そうした表現はこれから先、どんどん素朴に言えなくなってしまうのだろう。

しかしやはり、だからといって自分の表現を修正するつもりはない。辛さや苦しさを飲み込んだ上で、軽々しい浅い暴言を表現として描く。それはやはりこの作品を自分が生み出したことへの責任であると思う。耐えられずに今更真面目な方向に進路を変えたら、それこそ自分の作品に対する裏切りだと思う。

自分の故人に対する本心からの悼みと、故人全般を侮辱するような表現を作り続けることは両立し得るだろうか。自分はすると思う。確かに自分は自分のこうした態度が少なからず彼らへの追悼に影響を与えてしまうことは否定していない。だが自分はこうした矛盾を受け止め併せ呑むことは、本人の努力次第で可能だと思っている。それは無理を伴うだろうが、言うこと自体は簡単なのだ(問題は吐いた言葉を抱え続けること。忘れてしまえば楽なのだろうが)。

だから自分は、少なくともこの作品に関してはふざけた態度を一貫して取り続ける。人の死もネタにする。軽く扱う。それを笑いに変えるつもりだ。