人生

やっていきましょう

自分の常識が何も言わずとも共有されていると考える傾向がこの場所にはある。そしてコミュニケーションロスによって生じた問題はすべて受け手に問題があると考える。つまり情報伝達の可否や程度が受け手の理解力や努力に依存しているという状態にある。

このことが自明である環境においては常に不健全な意思疎通が行われることになるが、優秀な人材(すなわちこの環境に適応した人間)がいる際にはそのすべてを自力で対処するので大した問題にはならない。問題は自分のような部外者が介入してきた時である。

この時彼らは、この不完全な環境が表面上少なくとも問題なく機能してきたという事実から、問題が人材の無能にあると考える。確かにその一因を否定することは難しいが、自分はむしろ情報伝達の度合いを受け手の努力に依存しているこの環境にも問題があるように思う。

おそらく少人数で運営されている、言わば身内同士の職場であるからこそ、阿吽の呼吸で意思疎通できて当然と考えるのである。大企業のような何万という人材が無数の情報を正確に伝達しなければならない環境とはわけが違う。あるいは自身の言動を監視させるという習慣がないために、その問題を理解できないのかもしれない。あるいはそれらをすべて分かっていながら、自身の教育のために敢えて行っているか・・・。

自分がここに来るべきではなかったと思ったのはこれが二度目である。しかしなぜか不思議と辞めてやるとは思わなかった。この1週間で感じていた彼らへの信頼や期待は失せたが、自分にまだできないことがあるというのは事実である。とりあえずすべての業務を独力で行えるようになって、自分のメモくらいにしか指摘されることがなくなったら辞めてやろうと思う。しかしその頃にはもう期日を迎えているかもしれない。

彼らに恨みや憎しみといった感情がまるでない。悪い人たちではないというというのは分かる。ただこの一点が自分にとって最大のストレスであり、これが長く続くようならば自分は正気を失うだろう。