人生

やっていきましょう

今日は精神が不安定だったが、後半調子が出てきてひとつのシーンが完成するに至った。先日ここで言及した笑いの要点を意識して作ったら結構面白いものができた。

作っていて気づいたことがある。自分が数年前に生み出した冷笑ピエロのキャラクターとこの種の笑いは、実によく似ているものの微妙に異なっている。

そのことを理解するために一度このキャラクターの歴史を遡る。

冷笑ピエロは初め、このゲームに出てくるすべてのものを嘲笑うという役割を与えられていた。当時の作者自身の内面の投影であり、自分の集大成ともいえるゲームを自分で台無しにしてやろうと考えていた。この頃は特に希死念慮と自己否定の感情が強かった。

しばらくして冷笑の洗練ということを意識し始めた。単に何かを否定するだけでは面白さに欠ける。自分の悪意を自分で笑えるくらいにまで底上げしようとした。この辺りから自分の感情ではなく面白さを優先するようになった。それがある種の自己否定となり、自分はストーリーを面白さで上書きするようになった。

最近の1年はこのキャラクターのことを考えていなかった。ストーリーが途中で2つのルートに分かれていて、そのうちの一方だけをずっと作っていたからだ。先週から自棄になってストーリーの見直しを始めた時、久々にこのキャラクターと再会した。

その時の第一印象は扱いに困るというものだった。当時の自分の内面(もしくは一番やりたかったこと)の投影だったこのキャラクターが、今の自分のそれとは微妙に異なっているのである。

それで今日、実験的に2つのキャラクターをぶつけさせた。一方は冷笑ピエロで、他方は最近の関心ごとである「言葉の具体性と類推力」を体現したそこそこ重要なNPCである。この2人が真っ向から罵倒しあった。決してピエロが負けたわけではないが、このNPCの異常性がピエロの印象を薄めることになった。

これまでピエロはゲームの全てを否定するという絶対的特性によってこの地位に君臨し続けていたが、彼の限界は理屈に適わない対象を徹底的にバカにするという合理性にあった。要するにハメを外さないインテリみたいなものであり、狂人のガワは被っているものの決して狂人にはなれなかった(その自戒こそが彼の逸脱的笑いを正当化するものであり、今でもその個性を否定するつもりはない)。

しかしこのNPCはアクセルを踏みすぎている。逸脱に対して制御をしておらず、またその自覚すらない。あるのはひとつの熱意であり、攻撃的感情である。ジャック・D・リッパー准将やハートマン軍曹のように目に狂気を宿している。

冷笑ピエロはこの狂気の非合理性を嘲笑い、NPCは狂気の内にある情熱をぶつけるだけという平行線の展開になったが、この2つの笑いを衝突させたことで冷笑ピエロの新たな可能性について考えることができた。ピエロがこの種の笑いを手懐けることができれば、彼の言葉の面白さはより一層高まるだろう。

明日は次のシーンに取り掛かるが、実はこのNPCとは別方向の狂気を宿したNPCが登場する。そのNPCはこの狂人の先駆けであり、狂人を描くという発想を自分に与えてくれた。冷笑ピエロが狂人のガワを被った常識人であるならば、彼は常識人のガワを被った狂人である。態度は温厚だが対人距離がおかしく、自分のことを絶対的に正しいと思い込んでいてその前提を当然のように相手に求めている。あまりに完成されすぎているので修正することはないだろうが、もし何かあればこのキャラクターのことについて書いてみたいと思う。