人生

やっていきましょう

昨日の話とも少し関係してくるが、自分の劣等感の強さは自分の無能が絶対的なものであるという前提から生まれてくるような気がしている。自分は何をやってもダメだからそれをあっさり超えてきた他人を恨めしく思う。

厳密に言えば何をやってもダメなのではない。失敗を恐れ何もやっていないことが己の無能の原因だ。自分は何かをすることで自身の劣等感が強化されることを恐れている。しかし何かをすることでしか自分の現在の力量を測ることはできない。おそらく大抵のものはうまくいかないだろう。しかしその現実的な失敗は、非現実の妄想による劣等感以上に確かな情報を与えてくれる。

やりたいことがあるなら劣等感を恐れずやってみればいい。絵を描きたいならば描けばいいし、ゲームや小説を作りたければ作ればいい。それは適切に失敗するだろうが、それ以上のものではない。失敗も成功も単に結果のひとつでしかない。その成果で自分や相手の価値を測ろうとするから問題になる。

自分が他人からどう見られているか神経質になるのは生まれつきの性質であるから仕方がない。しかしそのために自分自身を誰かの価値観で縛り続ける必要はない。自分の定めた目標、反省、そして結果だけを見るがいい。

他人に失敗を笑われることを恐れて萎縮する必要はない。それよりも他人の評価に絶対的な力を与えている自分の問題を恥じる必要がある。一度自分の劣等感を無視してなんでもやってみればいい。あくまで問題は己自身である。