人生

やっていきましょう

18日目

だいぶ運動に慣れてきた。バーピーは15回一気にできるようになった。無理をすればの話だが。実家のプレハブでいつもやっている。ドタバタしても誰の迷惑にもならない。

最近朝が重い。だいたい9時に起きられるのだが、朝は何もする気がない。バーピーは昼頃にやっている。朝からやるには厳しい運動だ。朝が問題だ。時間を持て余し適切な使い方ができていない。

以前朝早くに起きて早く寝た時があった。1日の時間がなんと長いことか。昼起きしたら明るい時間は6時間だ。しかし6時起きなら明るい時間は12時間だ。1日が2倍になったような気分になれる。もちろん時間は平等だ。時間の総数が変わるわけではない。ただ体感的に、早起きは常に時間に余裕があるような錯覚を起こさせる。

昼は映画を見て夜はゲームをした。映画は面白かったがつまらない一日だった。ゲームでは何もせずひとだかりの中で3時間過ごした。本当に無駄だった。友人を待っていたりチャット相手が偶然通りかかるのをボーっと待っていた。その間ずっとpc前に張り付いていた。バカなことをした。

自分は昔よく同じことをしていた。誰かが何かをしてくれるのを待つのだ。3時間でも6時間でも。相手はほとんど気にかけちゃくれないのに相手が来るのを待っていた。6時間待って話し相手がひとりいれば良しとした。今日も同じことだ。こんなことを続けていても意味はない。自分の時間は相手のことに支配されているのだ。だが相手が悪いわけではない。相手は自分を拘束したり依存しているわけではない。だから支配されているといえば語弊がある。自分から支配されに行っているのだ。

相手が自分の時間と都合を生きているのと同時、自分も自分の時間を構築し、自分の都合で生きても良いのではないか。今回記録を始めたのもそういう経緯がある。自分の決断と意思で人生を決定する。そういう話だ。だから相手の都合に惑わされたり、不特定の相手を探すというのは愚行だ。自分を主体にして今何を優先させるべきか常に考える。そして優先順位は他人より自分だ。幸い他人は自分を拘束していない。だから引け目に思うことはない。

今日はそれで終わりだ。次に今後の話をしよう。最近自分の生活が安定してきていると感じる。そろそろ自分のやりたいことを見つけたいという思いが湧いてきた。今日は面白いことがあまりなく、何が好きかということについてあまり語れないが、ふと目昔のことを思い出したのでそれについて話そうと思う。小学生の頃自分はよく絵を描いていた。絵というか漫画だ。ノートにおもしろ漫画を描いてクラスメイトに見せては笑わせるという遊びをずっとやっていた。自分の笑い好きの源流はそこにあるのだが、ふと漫画もいいなと思った。創作に関していえば漫画に対する情熱はあまりないのだが、漫画の絵を描くというのは自尊心がまだあったときの記憶を喚起させてくれる。だから軽くやるのもいいかもしれないと思った。

絵の特徴だが、かなり子どもっぽい印象を受ける。十日草輔の『王様ランキング』や香山哲の『心のクウェート』の絵に似ている(どちらもネットで無料で見られる)。まるで絵本の絵のようだ。前に絵を描いたとき、「あ、昔だ!昔の感覚だ!」と思うことがよくあった。すぐにそれを覆い尽くすように虚無が現れて、続きを描く気にならなかったが。絵の方向性、描きたい話の方向性はだいたい決まっているので、あとは描くだけという感じなのだが、虚無になって描く気にならない。文章とは違うのだ。自分の絵は自分が否定したかった過去をそのままえぐり出す。なぜなら自分が過去を否定しはじめて以来、漫画などまったく描いていなかったからだ。漫画の技量は昔のままであり、したがってものの見方や考え方が変わっても唯一その絵だけは昔のままなのだ。過去を受け入れる勇気、それがなければ漫画と向き合うのは難しい。今の自分にそれができるだろうか。

運動でわかったことだが、とりあえず1週間と考えると簡単に実行に移すことができる。絵くらい簡単だと思うが、まだ乗り気にはならない。他の創作だってやりたい。とりあえず週末までは様子を見ることにして、今は自分が漫画が好きだったという過去を認識する程度にとどめておきたい。