人生

やっていきましょう

637日目

自分が今作っているゲームはほとんどリメイクに近い。自分が一度作ったものをもう一度検討し直し改善しようとしているからだ。

明らかに以前のものよりは格段に面白くなった。ただそれはゲームとして面白くなったという意味であり、かつて自分自身の不安や葛藤を投影しようとしたあの真摯な態度から生まれたある種の不可解さを、極力排除した結果であるということを忘れてはならない。

当時の葛藤の痕跡をそのまま残すかどうかを悩んだが、やはりどこか見ていられないところがあったので大半は修正した。先月の2章で方針転換した重要な場合はおそらく最後の大きな痕跡だったが、それすらも無かったことにした。

創作を通じて誰かに自分の心の苦しみや不安を分かって欲しいという思いがもう無くなってしまった。今ではもう他人にまったく期待しなくなった。残酷な話だが、他人とは自分の心の苦しみを無償で分かってくれるために存在するわけではなく、自分から関心を見出すことができるかどうかだけに関心がある。だから話の作り手が読者に対して面白さのフックを無数に張り巡らし読者に笑ってもらうというのはいたって健全な態度なのだが、あまりにそれは健全すぎる。

それで良いのかもしれないが、自分はそう割り切って考えることができない。修正すればするほど自分の作品からはより癖がなくなり、ありがちでつまらない平坦な作品になるのではないかと考えてしまう。

少なくとも自分は今の自分を誤魔化した話を作るべきではない。自分が納得した創作を行い完成させる。その結果健全で歪みのないものが生まれたとしても、自分がそう変わったのだから仕方ない。もし自分がかつての歪みにこだわり、形だけを真似て重々しさを偽ったとしたら、それこそ本当につまらないものが生まれてしまうだろう。